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ハビブ・ヌルマゴメドフ 29戦無敗のまま去ったUFC王者

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ハビブ・ヌルマゴメドフは1988年9月20日、ロシア連邦ダゲスタン共和国の山あいにあるシルディ村で生まれました。

アヴァール人の家庭です。父アブドゥルマナプは軍隊でジュードーとサンボを学んだ人物で、地元の子どもたちを指導していました。

ハビブは8歳のときに父のもとでレスリングを始めています。

2001年に一家は首都マハチカラへ移りました。12歳でレスリング、15歳でジュードー、17歳でコンバットサンボを本格的に習います。

コンバットサンボでは2009年(キーウ、74キロ級)と2010年(モスクワ、82キロ級)に世界選手権を制し、2度の世界王者になりました。

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ロシアとウクライナでの16連勝

MMAのプロデビューは2008年9月です。1か月足らずで4勝を挙げ、同年10月にはモスクワのアトリウム杯トーナメントで優勝しています。

その後の3年も負けなしで、ロシアとウクライナの地域大会を中心に戦い、16戦全勝でUFCの目に留まりました。

契約までは順調ではありませんでした。父の説明によれば、ProFCとの契約をめぐって11件の裁判があり、敗訴6件、勝訴5件の末に合意に至ったということです。

2011年後半、UFCと6試合契約を結んでいます。

UFCでの序盤戦と2年間の空白

UFCデビューは2012年1月のUFC on FX 1で、カマル・シャロルスに3ラウンドでリアネイキドチョークを決めました。

 

 

同年7月のグレイソン・チバウ戦からは米国のアメリカン・キックボクシング・アカデミー(AKA)を練習拠点にしています。

2013年にはチアゴ・タバレスを1ラウンドKO、アベル・トルヒージョには28回のテイクダウン試行のうち21回を成功させ、1試合のテイクダウン数でUFC記録を更新しました。

2014年4月には元王者ハファエル・ドス・アンジョスを判定で下しました。

 

 

ところが、その後は膝のけがが重なり、約2年間試合ができませんでした。

復帰は2016年4月で、ダレル・ホーチャーに2ラウンドTKO勝ちです。

同年11月にはマイケル・ジョンソンをキムラで極めています。

2017年3月のトニー・ファーガソン戦は、減量の失敗で体調を崩して中止になりました。

同年12月にはエドソン・バルボーザに判定勝ちし、これが最初のパフォーマンス・オブ・ザ・ナイト賞です。

王座獲得、マクレガー戦、そして引退まで

2018年4月のUFC 223では、空位のライト級王座をかけてアル・アイアキンタと戦いました。

ファーガソンが直前に負傷し、代役のマックス・ホロウェイも減量の問題で出場できなくなったため、アイアキンタが急きょ決まった試合です。

ジャッジの採点は50対44、50対43、50対43で、ハビブが王者になりました。

 

 

最初の防衛戦は2018年10月のUFC 229(ラスベガス)で、コナー・マクレガーと戦っています。

4ラウンドにネッククランクで勝ちましたが、試合後にケージを飛び越えてマクレガー陣営のディロン・ダニスに向かい、乱闘になりました。

 

 

ネバダ州体育委員会は、ハビブに9か月の出場停止と50万ドルの罰金を科しています。

この大会は約240万件のペイ・パー・ビュー購入を記録し、MMAの興行として最多とされています。

2019年9月のUFC 242(アブダビ)では、暫定王者のダスティン・ポワリエに3ラウンドでリアネイキドチョークを決め、王座を統一しました。

 

 

2020年4月に予定されていたファーガソンとの試合は、新型コロナウイルスの影響でロシアから出国できず、流れています。

ファイトスタイル:ケージ際で相手の動きを奪う

ハビブの試合運びは、レスリングを土台にした前に出る圧力でした。

ジュードーやサンボのテクニックも交えたテイクダウンで相手をケージに押しつけ、足と片腕を抱えて逃げ道をふさぎます。

そのまま体重を預けて相手の体力を削り、打撃を当てて仕留める流れです。

29勝のうち19勝はKO・TKOか一本勝ちで、内訳はKOが8、一本が11、判定が10です。

組み技の評価は、解説者や元王者からも高いものでした。

 父の死、ゲイジー戦、29戦無敗での引退

2020年5月、父アブドゥルマナプは新型コロナに感染して、医療的昏睡の状態に入りました。7月3日にモスクワの病院で亡くなり、57歳でした。

その4か月後、2020年10月24日のUFC 254(アブダビ)でジャスティン・ゲイジーと対戦しました。

 

 

2ラウンド1分34秒、三角絞めで勝っています。試合後のインタビューで、父なしでは戦わないと母に約束したと語り、これが最後の試合だと発表しました。

グローブをケージの中央に置いて去っています。2021年3月19日、ダナ・ホワイトは引退を受け入れ、ライト級王座を空位にしました。

最終戦績は29勝0敗で、UFCでは13戦13勝です。

4度のタイトル戦勝利(アイアキンタ、マクレガー、ポワリエ、ゲイジー)はUFCライト級の最多タイ記録とされています。

無敗の王者として引退した初のUFC選手です。

2022年の国際ファイトウィークでUFC殿堂(モダン部門)入りしました。

引退後の歩みと現在

引退後は指導者に転じ、AKAのハビエル・メンデスとともに、イスラム・マカチェフや従兄弟のウマル、ウスマンらを指導しました。

ロシアの団体を買い取って、イーグル・ファイティング・チャンピオンシップ(EFC)に改称しています。

2023年1月にはコーチとセコンドを退くと表明しましたが、その後はマカチェフの防衛戦などでセコンドに戻りました。

2026年8月のマカチェフ対イアン・マシャド・ギャリー戦でもコーナーにつき、ダナ・ホワイトの復帰をめぐる発言に対しては、自分の体重は約205ポンドだと明かしています。

現役復帰の予定はなく、若い選手の指導を続けています。

まとめ:負けのない記録

MMAでの全29試合に勝ち、UFCのライト級王座を2018年4月から2021年3月まで保持しました。

サンボとレスリングの技術をケージ際の圧力に変え、2度の世界王者の経歴を持つ選手が、UFCで13連勝を記録しています。

マクレガー戦はUFC史上最多の購入数を記録した試合で、試合後の乱闘を含めて世界的な注目を集めました。

2020年10月のゲイジー戦が最後の試合で、父の死後に交わした母との約束のとおり、それ以降は戦っていません。

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