ジョン・ジョーンズは1987年7月19日、ニューヨーク州ロチェスターに生まれ、10歳でビンガムトン周辺に移りました。
父アーサーは教会の牧師で、家庭は教会を中心に回っていました。
兄アーサーと弟チャンドラーはどちらもNFLでディフェンシブエンドとして活躍しています。
競技の出発点はレスリングです。ユニオン・エンディコット高校では2005年に州大会(189ポンド級)で優勝し、全米代表にも選ばれました。
アイオワ・セントラル・コミュニティ・カレッジでは2006年に全米短大選手権(197ポンド級)を制しています。
その後、大学を中退して格闘技の道に進みました。「ボーンズ」という愛称は、高校のフットボール部で細身の体格から付けられたものです。
2008年のデビューと最年少王者
プロデビューは2008年4月です。3か月で6連勝を挙げ、いずれも判定に持ち込まれずに勝ちました。
2008年8月、トマシュ・ドルワルの代役として2週間前の打診を受けてUFC 87に出場し、アンドレ・ガスモンに判定勝ちしています。
UFCでの唯一の黒星は、2009年12月のマット・ハミル戦です。
ジョーンズが試合を支配していましたが、禁止されている真上から振り下ろす肘打ちを使って反則負けになりました。
ダナ・ホワイトはノーコンテストにすべきだったと主張し、この裁定に異議を唱えています。
その後は2010年にブランドン・ベラとウラジミール・マティシェンコ、2011年2月にライアン・ベイダーを破りました。
2011年3月19日のUFC 128で、負傷したラシャド・エヴァンスの代役としてマウリシオ・ショーグン・ルアの持つライトヘビー級王座に挑みます。
3ラウンド2分37秒にTKO勝ちし、23歳でUFC史上最年少の王者になりました。
8連続防衛と王座の剥奪
最初の防衛戦は2011年9月のクイントン・ランペイジ・ジャクソン戦で、4ラウンドにチョークで勝ちました。
続いてリョート・マチダ、ラシャド・エヴァンス、ヴィトー・ベウフォート、ケイル・ソネンを退けています。
ベウフォート戦では1ラウンドに腕十字で危うくなりながら、4ラウンドに極め返しました。
2013年9月のUFC 165でのアレクサンダー・グスタフソン戦は、判定でぎりぎりの勝利でした。
ジョーンズは第1ラウンドに目の上を大きく切っています。
試合後、キャリアで最も厳しい相手だったと本人が語りました。
この試合は複数の媒体で年間最高試合に選ばれ、UFC殿堂のファイト部門に入っています。
その後、グローバー・テイシェイラ、ダニエル・コーミエを判定で下し、ライトヘビー級で8連続防衛に達しました。
ただ、コーミエ戦の前には問題が起きています。2015年1月、UFC 182の前の検査でコカインの代謝物が検出され、2万5000ドルの罰金を科されました。
同年4月にはアルバカーキでひき逃げ事故を起こしたとして逮捕され、UFCは王座を剥奪して無期限の出場停止にしています。
後に過失で現場を離れた罪を認め、監督付きの保護観察を受けました。
2016年4月のUFC 197でオヴィンス・サン・プルーに判定勝ちして暫定王座を得ましたが、その後の検査で禁止薬物クロミフェンとレトロゾールが検出され、タイトルを剥奪されています。
USADAの仲裁委員会は、意図的な摂取ではないと認定しました。
コーミエ戦、再度の違反、そして3度目の戴冠
2017年7月のUFC 214で、ジョーンズは3ラウンドにコーミエをKOして王座を取り戻しました。
ところが、試合前日の検査でステロイドのトリナボルの代謝物が検出されます。
結果はノーコンテストに変更され、王座はコーミエに戻りました。
USADAは15か月の資格停止を科し、2018年12月のUFC 232でグスタフソンに3ラウンドで勝って、空位の王座に就いています。
その後は2019年3月にアンソニー・スミス、同年7月にチアゴ・サントス、2020年2月にドミニク・レイエスを判定で下しました。
レイエス戦は、メディアの採点では14対7でレイエス優勢とする見方が多く、判定への疑問が出た試合です。
2020年8月、報酬をめぐるホワイトとの対立の末に王座を返上し、ヘビー級転向を表明しました。
ファイトスタイル:長い手足と型にはまらない打撃
ジョーンズは身長193センチ、リーチ215センチの体格を生かして、距離を保ちながら攻める選手です。
ボディやハイへの前蹴り、ミドルとローの回し蹴りを使い、特に知られているのは相手の膝を狙う斜め蹴り(オブリークキック)です。
ブルース・リーが広めた技術で、本人も影響を受けたと語っています。
2017年にはルールが改正され、相手の目に向けて指を伸ばす動作が禁じられました。
ジョーンズは以前から、距離を測るときの手の使い方を批判されていました。
クリンチでは相手の腕を制しながら肘と膝を当て、回転しながら打つスピニングエルボーも武器にしています。
レスリング出身だけに、グレコローマン式の投げに加えて、柔道の技も使います。
UFCのライトヘビー級で、テイクダウン防御率は95%とされ、この階級の歴代最高です。
ヘビー級での戴冠と引退表明
3年以上の空白を経て、2023年3月のUFC 285でシリル・ガンの持つ空位のヘビー級王座に挑み、1ラウンド2分04秒にギロチンチョークで勝ちました。
リカルド・ランディ・クートゥア、コーミエに続き、ヘビー級とライトヘビー級の両方で王座に就いた3人目の選手になりました。
最初の防衛戦に予定されていたステイプ・ミオシッチ戦は、大胸筋腱の断裂で流れています。
そのためトム・アスピナルが暫定王者になりました。
ジョーンズとミオシッチの試合が行われたのは2024年11月のUFC 309で、3ラウンドに回転後ろ蹴りとパンチでTKO勝ちしています。
これが12度目のタイトル防衛で、UFC最多の記録になりました。
試合後、ジョーンズはアスピナルとの対戦に関心を示しませんでした。
2025年6月21日、ダナ・ホワイトは引退を発表し、アスピナルを正式な王者と認めました。
ジョーンズは7月に薬物検査プールに復帰しましたが、2026年3月にホワイトハウス大会の出場者に自分の名前がなかったとして、UFCに契約解除を求めています。
4月には「グローブは壁に掛けた」と話しました。7月のザ・リング誌のインタビューでは、検査プールにいる限りドアは開けておくと述べています。
UFCでの最後の試合は、2024年11月のミオシッチ戦のままです。
まとめ:28勝1敗1ノーコンテスト
最終的な戦績は28勝1敗1ノーコンテストです。
UFCの王座は、ライトヘビー級を2度とヘビー級を1度獲得しました。
ライトヘビー級の防衛11回は歴代最多です。
ヘビー級での1回を加えたタイトル防衛12回はUFC全体で最多で、タイトル戦の勝利も16に達しています。
ライトヘビー級の王者として1743日にわたり、UFCのパウンド・フォー・パウンド1位に就いていました。
一方で、王座を剥奪された回数は3回にのぼります。
ひき逃げ事故、禁止薬物の陽性、報酬をめぐる対立が、いずれも試合の間隔を大きく空けさせました。
ヘビー級の王座は返上され、2026年9月30日時点で、復帰の日程や対戦相手は発表されていません。











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