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畑山隆則:激闘を制した二階級王者

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畑山隆則は1975年7月28日、青森県青森市に生まれました。

中学時代は野球部でエースを務め、投手として将来はプロ野球選手になることを望んでいたといいます。

スポーツ推薦で青森山田高校に投手として入学しましたが、先輩部員との対立から1ヶ月ほどで退部することになりました。

進路を見失っていたころ、同郷の元WBA世界フライ級王者レパード玉熊の世界戦をテレビで見たことがきっかけとなり、ボクシングの道を志すようになります。

高校を中退して単身で上京し、まずはヨネクラジムの門を叩きました。

ただ、大人数の選手や練習生を抱える環境になじめず、まもなく京浜川崎ボクシングジムへ移籍します。

このジムで出会ったのが、韓国出身の柳和龍トレーナーでした。

二人三脚での歩みが、ここから始まります。

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東洋太平洋制覇と世界初挑戦の壁

1993年6月17日、東京で福村和宏を相手にプロデビュー。

初回KOで白星を飾ると、同年12月には東日本スーパーフェザー級新人王、翌94年2月には全日本スーパーフェザー級新人王を獲得し、この試合ではMVPにも選ばれました。

95年には、元WBA世界スーパーフライ級王者・鬼塚勝也のマネージャーを務めていた片岡鶴太郎が新たにマネージャーとなります。

96年3月、崔重七を2回KOで下してOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座を獲得。

この王座獲得までに11連続KOを記録していました。

 

 

同年6月にルディ・カビレスを判定で下して初防衛、9月にはオッキー・バクリンを9回KOで退けて2度目の防衛に成功します。

ただしこの直後、所属ジムの会長が不祥事で逮捕され、柳トレーナーとともに横浜光ボクシングジムへ移籍することになりました。

97年2月には尹東澈を4回TKOで下し3度目の防衛を果たしますが、試合後に王座を返上し、世界挑戦の準備に入ります。

同年10月、両国国技館でWBA世界スーパーフェザー級王者・崔龍洙への初挑戦に臨みました。

フルラウンドの打ち合いの末、判定は1-1のドロー。王座獲得はなりませんでした。

王座奪取とラクバ・シン戦の衝撃

翌98年3月、再起戦として18戦無敗の日本王者コウジ有沢に挑戦し、9回TKOで日本タイトルを奪取します。

 

 

この王座は防衛戦を行うことなく返上し、目標はあくまで世界でした。

同年9月、前年に引き分けた崔龍洙との再戦が実現します。両国国技館での試合は再びフルラウンドにもつれましたが、今度は2-0の判定勝ち。無敗のまま世界王座を手にしました。

99年2月の初防衛戦では、サウル・デュランに2回でダウンを奪われる苦しい展開となります。

それでも挑戦者が2度の減点を取られたこともあり、結果は1-1のドローで規定により防衛成功となりました。

しかし同年6月、指名挑戦者のラクバ・シンとの2度目の防衛戦で5回TKO負けを喫し、プロ初黒星とともに王座から陥落します。

 

 

試合後、畑山は現役引退を表明し、鶴太郎マネージャーの紹介で芸能界に入りました。

引退撤回と2階級制覇という離れ業

引退から半年ほどを経た2000年、畑山は決断を撤回します。

新たなトレーナーには、元WBA世界スーパーフェザー級王者ヘナロ・エルナンデスの実兄にあたるメキシコ系アメリカ人、ルディ・エルナンデスを迎えました。

復帰戦は並の内容ではありませんでした。階級をライト級に上げ、いきなりWBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノへの世界挑戦を組んだのです。

2000年6月11日、有明コロシアム。約1年のブランクを感じさせない動きで王者を翻弄し、合計5度のダウンを奪った末に8回KO勝ち。

復帰初戦で世界王座を奪い、日本人4人目となる2階級制覇を成し遂げました。

同年10月には元OPBF東洋太平洋ライト級王者の坂本博之を10回TKOで下し、初防衛に成功します。

日本中の注目を集め、未だに語り継がれる伝説の試合となりました。

 

 

王座陥落、そして短くも濃密だったキャリアの終幕

2001年2月、2度目の防衛戦の相手は、全階級を通じて日本王座最多の22度防衛を誇った元日本ライト級王者リック吉村でした。

試合は挑戦者側の減点もあり1-1のドローとなり、規定により防衛に成功します。

 

 

しかし同年7月、さいたまスーパーアリーナでの3度目の防衛戦で、元WBA世界ライト級王者ジュリアン・ロルシーに0-3の判定負けを喫し、王座を明け渡しました。

この試合を最後に、畑山は2002年1月、正式に現役を退きます。

プロとしての通算戦績は29戦24勝19KO、2敗3分。1998年と2000年には、ボクシング年間MVPを受賞しています。

まとめ:短くも濃密なキャリアが残したもの

引退後の2002年7月、畑山は元WBA世界ミドル級王者の竹原慎二とともに、東京・新宿にボクシング・フィットネスジムを開設しました。

当初はアマチュア専用でしたが、2008年からプロ選手も受け入れるようになり、藤岡奈穂子をジム初の世界王者に育て上げています。

現在は評論家、タレント、YouTuberとしても活動を続けています。

 

 

現役時代の畑山は、崔龍洙との2試合や、劇的なダウン応酬の末にセラノを下した復帰戦に象徴されるように、前傾姿勢で距離を詰め、被弾を恐れずに打ち合うスタイルで知られていました。

ドローや初黒星という結果を含めても、その戦いぶりが多くのファンを引きつけたことは、彼が刻んだ試合の数々が物語っています。

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