ワシル・ロマチェンコは1988年2月17日、ウクライナのオデッサ州ビルホロド=ドニストロフスキーに生まれました。
トレーナーを務めたのは父アナトーリーで、もし父がボクシングの指導者でなければアイスホッケーを選んでいただろうと本人が語っています。
アマチュア時代の戦績は397戦396勝1敗という驚異的な数字で、唯一の敗戦は2007年の世界選手権決勝でしたが、その相手にはその後2度勝っています。
2008年の北京五輪でフェザー級、2012年のロンドン五輪でライト級の金メダルを獲得し、オリンピック2連覇を果たしました。
史上最速の世界3階級制覇への挑戦
2013年、AIBA主催の「ワールド・シリーズ・オブ・ボクシング」参加を経てプロ転向を発表し、ボブ・アラムのトップランク社と契約します。
同年10月のデビュー戦でホセ・ラミレスを4回KOで下すと、翌2014年3月には史上最短となるプロ2戦目での世界王座獲得を狙い、WBO世界フェザー級王者オルランド・サリドに挑みました。
しかし判定負けを喫し、この記録づくりは失敗に終わります。同年6月、王座決定戦でゲーリー・ラッセル・ジュニアを判定で下し、プロ3戦目での世界王座獲得に成功しました。
フェザー級・スーパーフェザー級制覇からリナレス撃破まで
フェザー級で防衛を重ねたロマチェンコは、2016年6月、ローマン・マルチネスを5回KOで下してスーパーフェザー級のWBO王座を獲得し、7戦目での2階級制覇という当時の世界最速記録を樹立しました(後に井上尚弥が更新)。
その後もニコラス・ウォータース、ジェイソン・ソーサ、ミゲル・マリアガ、ギレルモ・リゴンドウらを次々と退けて防衛を重ねます。
2018年5月、WBA世界ライト級王者ホルヘ・リナレスとの対戦で6回にプロ入り後初のダウンを喫しながらも10回TKO勝ちを収め、世界最速の3階級制覇を達成しました。
同年12月にはホセ・ペドラザとの統一戦を制してWBO王座も獲得しています。
ロペス戦の衝撃的判定負けと祖国防衛への従軍
2019年8月、ルーク・キャンベルを判定で下してWBC王座も獲得し、ライト級3団体を統一します。
しかし2020年10月、IBF王者テオフィモ・ロペスとの4団体統一戦で0-3の判定負けを喫し、保持していた全王座を失いました。
本人は判定内容に強い不満を示すとともに、試合前から右肩の痛みを抱えていたことを明かし、試合後に再手術を受けています。
2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて領土防衛隊に参加することを表明し、同年6月に予定していたジョージ・カンボソス・ジュニア戦を辞退しました。
同年10月に復帰し、ジャメイン・オルティスを判定で下しています。
ヘイニー戦の物議、そしてカンボソス撃破によるIBF奪取
2023年5月、4団体統一王者デヴィン・ヘイニーに挑戦しましたが、0-3の判定負け。
この判定については、シャクール・スティーブンソンをはじめ多くの関係者やファンからロマチェンコの勝利を支持する声が上がり、物議を醸しました。
ロマチェンコ陣営は各団体に抗議文書を送付する事態にまで発展しています。
2024年5月、オーストラリア・パースで元統一王者ジョージ・カンボソス・ジュニアとのIBF世界ライト級王座決定戦に臨み、11回TKO勝ちを収めて王座を獲得しました。
これがプロキャリア最後の勝利となります。
同年11月にはWBA王者ジャーボンテイ・デービスとの統一戦が交渉されましたが、家族との時間を優先したいという本人の意向から交渉は決裂しました。
まとめ:無敗を守れなかったレジェンドの引退
2025年6月5日、ロマチェンコは自身のSNSで現役引退を発表しました。
「主イエス・キリストにすべてを感謝したい。高慢な若者だった私に、名声や知名度が人生の真の目的ではないと最終的に教えてくれた」と語り、12年間のプロキャリアに終止符を打ちました。
最終的な戦績は21戦18勝(12KO)3敗でした。
サリド戦、ロペス戦、ヘイニー戦という3度の黒星はいずれもプロ入り以前の圧倒的なアマチュア戦績からすると意外な結果でしたが、フェザー級からライト級までの3階級制覇、そして手数の多さと多彩なステップワーク、コンビネーションを交えたボディ攻撃を武器にしたスタイルは、現代ボクシング史における最も技巧的な選手の一人として記憶されています。















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