長谷川穂積は1980年12月16日、兵庫県西脇市に生まれました。
父の大二郎さんは元プロボクサーで、心臓の疾患が見つかり3戦で引退した経歴の持ち主です。
小学2年から父にボクシングを教わり始めますが、その厳しさに反発し、中学時代は卓球部に所属していました。
高校は兵庫県立多可高等学校全日制に進みましたが、後に妻となる女性との交際で学業がおろそかになり、留年が決まったことをきっかけに2年で中退します。
意図的に赤点を複数取ったという逸話も残っています。
その後、兵庫県立西脇北高等学校の定時制に編入し、19歳で卒業しました。
彼女と同居するために父から出された条件が、千里馬神戸ボクシングジムへの入門でした。
これが本格的なボクシング人生の始まりです。
プロテストは一度不合格になりましたが、2度目の挑戦で合格し、1999年11月にプロデビューを果たしました。
4回戦時代には判定で2度の黒星を喫しています。うち1敗は試合当日に麻疹で体温が39度を超える状態だったといい、後に同じ相手と再戦して雪辱しています。
東洋太平洋制覇と20戦目の世界初挑戦
2002年10月、まだランカーではなかった長谷川は、日本バンタム級4位の熟山竜一にフルマークの判定勝ちを収め、名前を知られるようになります。
2003年5月にはフィリピンのジェス・マーカを12回判定で下し、OPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得しました。
その後3度の防衛に成功し、2004年12月に王座を返上します。
同年10月には両国国技館で鳥海純と世界挑戦権をかけて対戦し、10回判定で勝利。
当時WBC世界バンタム級王者だったウィラポン・ナコンルアンプロモーションへの挑戦権を手にしました。
2005年4月16日、日本武道館。20戦目にして臨んだ初めての世界挑戦でした。
ウィラポンは辰吉丈一郎を2度破り、西岡利晃の挑戦も4度退けた15度目の防衛戦に臨む王者です。
試合は序盤に長谷川がリードを奪うと、中盤は王者が試合を支配し、終盤には再び長谷川が攻勢に転じるという展開になりました。
12回をフルに戦い抜いた末、3-0の判定で王座を奪取します。
この一戦は2005年度の年間最高試合に選ばれ、地元の西脇市からは市民栄誉賞が贈られました。
ウィラポン撃破からの黄金期
初防衛戦は同年9月、ヘラルド・マルチネスを相手に7回TKO勝ち。翌2006年3月には前王者ウィラポンとの再戦が組まれ、9回に右フックのカウンターでダウンを奪い、そのままレフェリーストップに持ち込みました。
以後、2006年から2009年にかけて防衛を重ね、7度目の防衛では日本人選手として具志堅用高に次ぐ連続防衛記録を更新します。
2009年12月の10度目の防衛戦でアルバロ・ペレスを4回TKOで下し、具志堅用高以来となる同一世界王座での10度連続防衛を達成しました。
この間、7度の防衛をKOで飾っており、世界王座獲得前は「倒さないボクシング」を徹底していた選手が、王者となってからは自らファイトスタイルを進化させていったことがうかがえます。
モンティエル戦での王座陥落と異例の2階級制覇
2010年4月30日、日本武道館。WBO世界バンタム級王者フェルナンド・モンティエルとの事実上の統一戦に臨みます。
序盤は長谷川が優位に進めていましたが、4回終了間際にモンティエルの左フックを受けてグラつき、ラウンド終了とほぼ同時にレフェリーストップ。
5年間保持してきた王座から陥落しました。
試合後の検査で右あごの骨折が判明し、手術を受けています。
この一戦は2010年度の年間最高試合に選ばれ、WBCからも「最も劇的な試合」に選出されました。
モンティエルとの再戦交渉が難航したこともあり、長谷川は2階級上のフェザー級への転向を決断します。
バンタム級王座陥落からわずか7ヶ月後の2010年11月26日、空位となっていたWBC世界フェザー級王座決定戦でファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)と対戦し、12回をフルに戦い抜いて3-0の判定勝ち。
日本人選手として初めて、間の階級を飛び越える形での2階級制覇を成し遂げました。
ただし翌2011年4月の初防衛戦では、ジョニー・ゴンサレスに4回TKO負けを喫し、王座を失っています。
長い低迷期を経て成し遂げた3階級制覇
その後の長谷川は、非タイトル戦を重ねながら再起の道を探ります。
2013年にはスーパーバンタム級へ転級し、2014年4月にはIBF世界スーパーバンタム級王者キコ・マルチネスに挑戦しましたが、7回TKO負けで3階級制覇はなりませんでした。
それでも現役を続け、非タイトル戦での勝利を積み重ねていきます。
2016年9月16日、大阪府立体育会館でWBC世界スーパーバンタム級王者ウーゴ・ルイス(メキシコ)と対戦。
ルイスが9回終了時に棄権したことで、3階級制覇を達成しました。
この王座奪取により、35歳9ヶ月での世界王座奪取という日本人男子の最年長記録を更新しています。
同年12月9日、神戸市内での記者会見で現役引退を表明しました。
世界王者のまま引退したのは、大場政夫、徳山昌守に続き3人目です。
まとめ:現役王者のまま去った稀有なキャリア
プロとしての通算戦績は41戦36勝16KO5敗でした。
バンタム級での10度連続防衛、そしてスーパーバンタム級、フェザー級を含む3階級制覇という記録に加え、年間最優秀選手賞は4度受賞しています。
引退後はボクシング解説者として各局の中継に出演するほか、2019年からは舞台俳優としても活動を始め、2018年には神戸にアマチュア向けのジムを開設しました。
このジムは2024年にプロ加盟が認められ、「KOBE長谷川ボクシングジム」として現在に至ります。
現役時代のスタイルは、サウスポーからの高速の連打と、要所で相手を捉えるカウンターパンチ、そして優れたディフェンス技術に支えられたものでした。
王者になる前と後でスタイルを変化させ、判定でポイントを稼ぐボクシングからKOを狙う攻撃的なボクシングへと自らを作り替えていった点も、彼のキャリアを特徴づけています。


















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