ゲンナジー・ゴロフキンは1982年4月8日、当時のカザフ・ソビエト社会主義共和国(現カザフスタン)カラガンダ州カラガンダに、4人兄弟の一人として生まれました。
ロシア人の父と高麗人の母を持つロシア系カザフスタン人で、父は炭鉱夫、母は実験室のアシスタントをしていたといいます。
14歳のとき、兄に連れられてジムに通い始めたことがボクシングとの出会いでした。
アテネ五輪銀メダルとドイツでのプロ転向
アマチュア時代のゴロフキンは、2003年の世界選手権ミドル級で、後にIBF世界スーパーミドル級王者となるルシアン・ブーテらを破って金メダルを獲得します。
2004年のアテネ五輪では準決勝でアンドレ・ディレルを下しましたが、決勝でガイダルベク・ガイダルベコフに敗れて銀メダルにとどまりました。
アマチュア戦績は350戦345勝5敗と報じられていますが、国際大会だけで少なくとも8敗していることが確認されています。
2006年5月、ドイツのプロモーターと契約してプロデビューし、初回KO勝ちを収めました。
2010年にはアメリカ拠点のK2プロモーションと契約を結び、活動の場を米国へと移していきます。
無敗のままミドル級を支配した長期政権
2010年8月、WBA世界ミドル級暫定王座を獲得すると、2011年にはIBO王座も加え、着実に防衛を重ねていきました。
2012年のアメリカデビュー戦、2013年の日本人選手石田順裕戦など、多くの相手をKOで退け、2014年10月から2016年4月にかけては、当時34年ぶりとなるウイルフレド・ゴメスの持つ17連続KO防衛世界タイ記録に並びました。
2015年10月にはIBF王者デイビッド・レミューとの統一戦を制し、3団体統一を達成します。
2017年3月のダニエル・ジェイコブス戦では判定勝ちとなり連続KO記録は途絶えましたが、プロアマ通じて一度もダウンやストップ負けを喫したことがない稀有な選手として、圧倒的な強さを誇り続けました。
アルバレスとの三部作
2017年9月、サウル・アルバレス(カネロ)との初対決は、多くの関係者やファンがゴロフキンの勝利と見た内容ながら判定は引き分けとなりました。
2018年9月の再戦もゴロフキンの優勢を支持する声が多い中、0-2の判定負けを喫し、初黒星とともに王座から陥落します。
この試合の前には、アルバレスが禁止薬物クレンブテロールの陽性反応で資格停止処分を受ける騒動もありました。
ゴロフキンはWBCに再戦を指令するよう求めましたが認められませんでした。
村田諒太撃破と衰えが見えた第3戦
2019年10月、セルゲイ・デレフヤンチェンコとの王座決定戦を制してIBF王座に返り咲くと、2020年12月にはカミル・シェレメタを7回TKOで下し、通算21度目の防衛でバーナード・ホプキンスの持つ最多防衛記録を更新しました。
2022年4月には日本のさいたまスーパーアリーナで村田諒太との2団体統一戦に臨み、9回TKO勝ちでWBAスーパー王座に4年ぶりに返り咲いています。
同年9月、4年ぶり3度目となるアルバレスとの対戦は、1階級上のスーパーミドル級で行われました。
手数の少ない攻防が続き、0-3の判定負け。
40歳になっていたゴロフキンの衰えが明らかになった一戦でした。
この試合を最後にリングから遠ざかり、2022年に現役を退いています。
まとめ:一度もダウンしなかった「GGG」の遺産
2023年に入ると、IBF、WBA、IBOの各王座を相次いで返上し、正式に無冠となりました。
2024年2月にはカザフスタン・オリンピック委員会の会長に選出され、行政の道へ進んでいます。プロとしての通算戦績は45戦42勝(37KO)2敗1分でした。
プロアマを通じて一度もダウンやストップ負けを経験しなかったという記録は、ミドル級の歴史でも際立った存在感を放っています。
KO率80%を超えるハードパンチャーでありながら、入場時にはカザフスタンの民族衣装チャパンをまとい、敗れた相手にも敬意を払う人柄でも知られ、対戦して敗れた選手たちからも慕われる存在でした。
















コメント