内山高志は1979年11月10日、長崎県で三人兄弟の次男として生まれました。
幼少期に埼玉県春日部市へ転居し、小学校時代は少年野球チームで野球に親しみ、中学時代はサッカー部に所属していました。
ボクシングとの出会いは、テレビで見た辰吉丈一郎の試合がきっかけです。
その姿に憧れ、ボクシングの強豪校である花咲徳栄高校に進学し、競技を本格的に始めました。
高校3年の1997年には初出場となった高校総体でバンタム級ベスト8入りし、同年の国体少年の部では後に世界ランカーとなる榎洋之らを破って準優勝を果たしています。
アマチュアでの雌伏とオリンピック落選、そしてプロ転向
高校卒業後は拓殖大学に進学しますが、当初は補欠にも選ばれず、同級生の荷物運びをさせられるような厳しい扱いを受けたといいます。
この時期に階級をライト級へ上げ、力をつけていきました。
大学卒業後は高知県の建設会社に事務員として勤務しながら競技を続け、2002年の国体で優勝、全日本選手権も連覇します。
同年のキングスカップでは、アトランタ五輪金メダリストのソムラック・カムシンに敗れたものの銅メダルを獲得しました。
2003年には全日本選手権3連覇を含むアマチュア四冠を達成し、世界選手権でもベスト16入りしています。
2004年のアテネ五輪を目指して国内予選を勝ち抜きましたが、パキスタンで行われたアジア地区最終予選の1回戦で敗退し、本大会出場を逃しました。
一度は引退を決意しますが、地元開催の国体に出場して準優勝。
その後、プロのジムやK-1からの誘いを断って再び引退を固めていたところ、ビータイトプロモーションの瀬端幸男氏の説得を受けて翻意し、瀬端氏がマネージャーを務めていたワタナベボクシングジムからプロ入りすることを決めました。
アマチュアでの実績が認められ、通常より上のB級ライセンスでのプロテストに合格しています。
東洋太平洋制覇と14戦目の世界初挑戦
2005年7月16日、6回戦でプロデビューし、初回TKO勝ちを収めました。
2007年9月には8戦目で空位のOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦に臨み、ナデル・フセイン(オーストラリア)を8回TKOで下して王座を獲得します。
その後5度の防衛に成功し、2009年12月に王座を返上しました。
2010年1月11日、14戦目にして世界初挑戦。
東京ビッグサイトでWBA世界スーパーフェザー級王者フアン・カルロス・サルガド(メキシコ)に挑みます。
序盤から的確なパンチで試合を優勢に進め、判定でも勝利が見えていた最終12回、残り40秒を切ったところで王者からダウンを奪うと、そのまま連打でレフェリーストップに追い込みました。
無敗のまま世界王座を獲得しています。
「ノックアウト・ダイナマイト」としての黄金期
初防衛戦となった2010年5月のアンヘル・グラナドス戦、続くロイ・ムクリス戦をいずれもTKOで制し、世界王座獲得から3戦連続KO勝ちという、日本の世界王者として初めての記録を作りました。
2011年1月の三浦隆司戦では右手を負傷しながらも8回終了後の棄権によるTKO勝ちで防衛に成功し、同年12月には暫定王者ホルヘ・ソリスとの統一戦を11回KOで制しています。
この統一戦での勝利により、世界戦5連続KO、そして統一戦でのKO勝ちは日本人選手として初めてとなりました。
2012年3月には、WBAの年間KO賞を日本人として初めて受賞します。
同年7月のマイケル・ファレナス戦では偶然のバッティングによる負傷判定で連続KO記録こそ途切れたものの防衛は継続し、12月にはブライアン・バスケスとの2度目の統一戦を8回TKOで制しました。
2013年5月には左ボディブロー一発でハイデル・パーラを沈める防衛を果たし、この功績が評価されてWBAからスーパーチャンピオンベルトを贈られています。
2013年12月に金子大樹を判定で下すと、2014年12月にはイスラエル・ペレスをTKOで退け、2015年2月には9度の防衛のうち7度をKOで飾った実績からWBAのスーパー王者に認定されました。
同年5月にジョムトーン・チュワタナを2回KOで下して10度目の防衛を果たし、12月にはオリバー・フローレスを3回TKOで退けて11度目の防衛に成功しています。
この時点で内山の連続防衛記録は、日本の世界王者として歴代3位となっていました。
コラレス戦での王座陥落と引退
2016年4月27日、暫定王者のジェスレル・コラレス(パナマ)との統一戦12度目の防衛戦に臨みましたが、2回に3度のダウンを喫してTKO負けを喫し、王座から陥落しました。
同年10月に現役続行を表明し、同年大晦日にコラレスとの再戦が組まれますが、判定負けで王座返り咲きはなりませんでした。
プロとしての通算戦績は27戦24勝(20KO)2敗1分でした。
11度の連続防衛は日本の世界王者として歴代3位の記録です。
引退後は主にTBS系列のボクシング中継で解説者を務めるほか、2018年12月には東京・四谷三丁目にフィットネスジムを開設し、2020年2月には地元・春日部市にもジムを構えました。
YouTubeでもチャンネルを開設しています。
まとめ:日本歴代3位の11連続防衛が示すもの
「ノックアウト・ダイナマイト」の異名どおり、内山はハードパンチャーとして知られる一方、豊富なアマチュア経験に裏打ちされた試合運びと、ディフェンス技術、スピードを兼ね備えたボクサーでもありました。
左ボディブロー、左フック、右ストレートと多彩なパンチで各国の強豪を沈め続けた11度の防衛は、リングマガジンのパウンド・フォー・パウンドランキングに山中慎介に続く日本人史上2人目として名を連ねる評価にもつながっています。
一方で、防衛戦がすべて国内開催にとどまり、本人が繰り返し口にしていた海外進出やメジャー4団体統一戦は実現しないまま現役を終えました。





















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