山中慎介は1982年10月11日、滋賀県湖南市に生まれました。
小中学校時代は野球に親しんでいましたが、辰吉丈一郎がシリモンコンをKOで下してWBC世界バンタム級王座を奪還した試合をテレビで見て感動し、ボクシングを志すようになります。
南京都高校に進学してボクシングを始め、同学年には後にWBA世界スーパーバンタム級王者となる李冽理がおり、公式戦で対戦した経験もありました。
2000年のとやま国体では、決勝で当時習志野高校1年生だった粟生隆寛(後のWBC世界スーパーフェザー級・フェザー級王者)を降し、少年バンタム級で優勝しています。
インターハイでも2位という成績を残しました。
もともとはオーソドックスでしたが、顧問の指導によりサウスポーへ転向しています。
冴えなかった大学時代から帝拳ジムへ
専修大学に進学した山中は、ボクシング部で主将を務めるものの、この時期の実績は目立つものではありませんでした。
卒業と同時に競技を離れるつもりでいましたが、大学4年時の国体で不本意な成績に終わったことがきっかけとなり、プロ入りを決意します。
入門先は、先輩の粟生隆寛が所属していた名門・帝拳ボクシングジムでした。
2006年1月7日、後楽園ホールでプロデビューし、6回判定で勝利を収めます。
2戦目は引き分けとなりましたが、その後は苦戦を交えながらも勝ち星を重ねていきました。
2010年6月には日本バンタム級王者の安田幹男を7回TKOで下して日本タイトルを獲得し、翌2011年3月には岩佐亮佑を10回TKOで退けて初防衛に成功します。
同年11月6日、17戦目にして世界初挑戦の機会が巡ってきました。
当初は次期挑戦者決定戦として組まれていた一戦でしたが、王者ノニト・ドネアが指名試合を行わなかったことを理由に王座を剥奪され、試合の2日前に急遽、空位となったWBC世界バンタム級王座決定戦へと格上げされます。
相手はクリスチャン・エスキベル(メキシコ)。
両者がダウンを奪い合う激しい打ち合いの末、11回にTKO勝ちを収め、無敗のまま世界王座を獲得しました。
「神の左」の防衛街道
初防衛戦となった2012年4月のビック・ダルチニアン戦では、それまで9まで伸びていた連続KO記録こそ止まったものの、判定で快勝します。
以後、トマス・ロハス戦(7回KO)、マルコム・ツニャカオ戦(12回TKO)、ホセ・ニエベス戦(1回KO)、アルベルト・ゲバラ戦(9回KO)と着実に防衛を重ね、2014年のシュテファーヌ・ジャモエ戦も9回TKOで退けました。
この頃から左ストレートによる鮮やかなノックアウトが際立つようになり、「神の左」の異名で呼ばれるようになります。
2015年にはディエゴ・サンティリャン戦を7回KOで、難敵アンセルモ・モレノとの初戦を2-1の接戦の末に制し、2016年3月のリボリオ・ソリス戦では2度のダウンを喫する波乱がありながらも判定で防衛に成功しました。
同年9月にはモレノとの再戦を7回TKOで制し、2017年3月にはカルロス・カールソンを7回TKOで下して12度目の防衛を達成します。
これは具志堅用高の持つ日本人男子最多13連続防衛に次ぐ、単独2位の記録でした。
ネリ戦での衝撃の陥落とドーピング疑惑
2017年8月15日、13度目の防衛戦の相手はルイス・ネリ(メキシコ)でした。
試合は4回にTKO負けを喫し、プロ初黒星とともに5年9ヶ月保持した王座から陥落します。
具志堅の持つ最多連続防衛記録まで、あと一歩届きませんでした。
この試合後、ネリの検体から禁止薬物ジルパテロールへの陽性反応が検出されたことが判明します。
WBCは最終的に「意図的な摂取の確証は得られない」としてネリを処分せず、両者に再戦を指令しました。
再戦の行方、そして引退
2018年3月1日、両国国技館での再戦に臨みますが、前日計量でネリが規定体重を超過して王座を剥奪されたため、試合は山中が勝てば王座に返り咲くという条件で行われました。
結果は2回TKO負け。王座は空位のまま終わり、山中は同月26日の記者会見で正式に現役引退を発表しました。
プロとしての通算戦績は31戦27勝(19KO)2敗2分でした。
年度ごとの最優秀選手賞や技能賞など、複数回にわたって年間表彰を受けています。
まとめ:具志堅用高に一歩届かなかった軌跡
山中のボクシングは、ジャブと左ストレートを軸にしたワンツーを極限まで磨き上げたスタイルとして知られています。
本人が「ワンツーには20通りある」と語っていたように、パンチのバリエーション自体は世界トップクラスの選手と比べて多くはなかったものの、この基本のコンビネーションを研ぎ澄ますことで、多くの相手を沈めてきました。
生来の左利きでありながら、指導者の方針でサウスポーへ転向した経歴を持ち、コンバーテッドサウスポーと誤解されることもあったといいます。
12度の世界王座連続防衛という記録は、具志堅用高の13度に次ぐ日本歴代2位として、現在もボクシング史に刻まれています。


















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